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松永孝義「QUARTER NOTE」に寄せて

 

 松永孝義 と親交のあった皆様から多くのコメントを頂きました。

 あの日(2014、7/11)、生前「松永孝義 The Main Man Special Band」ラストギグの地「新世界」に、天国からの降臨の如く松永孝義さんのヘヴィーループは確実に蘇った。
 松永さんほどアドリブを避けるベーシストはめずらしい。否、避けるのではなく必要ないのだ。
 氏は演奏の鍛錬の為に、自身のフレーズを実際に“歌う”という練習法を取り入れていたという。
 “歌うこと”。その行為を途方なく重ねた末、アドリブなどの余地 のない、あのヘヴィーループが生まれたのだろう。
 それは、JBやアーロン・ネヴィル等の希代の歌手達がワンテ イクでサクサクとレコーディングを済ませてしまうかのように。
 あの夜、確信に満ちたその“歌”が、ライブ音源のマルチ抜きという形でベースアンプから轟いた。瞬間、松永孝義 The Main Man Special Band に“お化け”(生前、松永さんはグルーブの比喩としてこの表現を口にした)が憑依した。
 それは生前の松永さんそっくりな、格好良く愉快なお化けだった。  エンドウソウメイ(イラストレーター、インタビュアー&『新世界』 ブッキングディレクター)

 

 

 僕が松永さんのプレイを初めて見たのは、80年代の半ばのこと。ミュート・ビートでも見ていますが、ジョー山中さんのバックでも見たのではなかったのかと思います。その時もかっこいいベーシストだと思ったのですけど、松永さんの本当の凄さを実感したのは一緒に仕事をさせていただいた90年代に入ってからでした。
 当時の松永さんは、松永さん自身も若かったし、思い出すといろんなことがありました。今となっては笑い話のようなこともたくさん。プレイはもちろん、お話するときのオチャメさ、カーティス・メイフィールドを聴きながら身悶える姿、長い髪をかきむしる仕草、将棋の棋譜を見る姿などなど、本当に憎めない愛すべき先輩でした。
 2004年、僕は、松永さんの唯一のスタジオ録音のソロ・アルバム『ザ・メイン・マン』のライナー・ノーツを書く機会を得ました。そのライナーノーツではもっと書きたいことがあって、「もっと書く分量もらえないですか?」とリリース元に相談したのですが、スペースはないとのことで残念な思いをしました。届いた商品を見たら、余ったスペースがあってチクショーと。でも、きっと余計なことを書き立たさないほう が良かっ
たのだと思います。
 僕の書いたライナーを松永さんが喜んでくれていると人づてに聞いて僕は本当に喜びました。
松永さんと一緒に仕事をさせていただいた頃、ぼくはまだ二十代の半ばで、ナマイキなだけで何も出来ない半端者でしたが、その僕が、松永さんの初ソロ作品でご一緒させていただけたのは、僕の音楽人生でも最も嬉しかったことのひとつです。
 原宿アストロ・ホールでのレコ発ライヴは、僕も普段生活している鹿児島から見に行きました。気のおけない仲間たちと繰り出す音楽は 本当に素晴らしく、これからますます松永さんの音楽を楽しめるに違いない と思ったのです。
 初のソロアルバムが、最後スタジオ録音によるソロ作品になってしまったのは、予定外のことでした。でも、初ソロがあったおかげで、今こうしてそのライヴ盤を手にできていることをとても嬉しく思っています。
 松永さんの不在は本当に寂しく、その喪失感は計り知れないのですが、音楽を愛した松永さんの生んだ音楽を、僕らが楽しむことこそ今の僕らができる唯一のことだなと思うのです。    (藤川毅)

 

 

私がこのアルバムを聴いてまず印象に残るのは、メンバーやゲストの誰もが、生き生きと演奏し歌っているなあ、という事です。
私には、スタジオやライブで幾度となく松永さんと一緒に演奏する機会がありました。その度に、「よく聴いて楽に弾き音楽を創る事」
の喜びを感じさせてもらい、また次の機会を楽しみにするようになりました。ミュージシャンとして仕事を続けていくうえで、
やめなければまたいつか良い演奏ができるかもしれない、という期待はとても助けになります。
悲しい事にその可能性は年々減りつつあります。でも悔やんだり嘆いたりする事はないと思います。
なぜならこのアルバムを聴いてもう一つ感じるのは、きっとこのライブを観ていた人たち誰もが生き生きとしていたに
違いない、という事だからです。  (清水一登)


 

 

 

松永さんのライブ盤をやっと聴けた。
ベースが聴こえた瞬間、あっ、松永さんだ!ってなった。

私のバンドで約11年に渡りベースを弾いてもらい
ファンキーなもの、変拍子なものからバラードまで、あらゆる種類の曲のレコーディングやライブの数々に参加してもらった。

私の中のベースとは何なのか、という問いに対する答えは
松永さんのベースにすべて揃っている。

いつでもあのアタックのめっちゃ強いぶっとい音が私のベースというパートの指針だ。

ライブ盤を聴いて、そこに自分が参加してないことが悔しくなった (笑)。

ハッピー、そして笑顔の中の究極のサウダージ。

こうして、あらためて聴くことができて良かった。  (ハシケン)



 

 『松永さん、というより「松ちゃん」となぜかお会いして直ぐに呼んでしまっていたくらい松永さんの人柄と音楽に惚れ込み、馴染んでしまいました。
ビートのツボが気持ちよく、ひとつひとつの音にスペースがありアンサンブルの一番
大事な部分を支えてくれる安心感がありました。この人がいれば大丈夫という信頼感がありました。
その甘えもあってか本当に不完全なアンサンブルや、始まってからどんどん変わるレコーディングにどんどん呼んでしまいましたが、
「松永さんのペース」でカッコ良い「松永ベース」を弾いてくれて、「松永さんのフェイス」は困ってるかな?と見ると「松永スマイル」だったりして気持ちよく音楽をつくりあげることが出来ました。

そんなすてきな瞬間をこのライブCDを聴くと想いだします。 HeartBeatBass!! 』 (久米大作)


 

 

松永君への手紙

まっちゃん!
その後お変わりありませんか。
君が旅立ってから幾日になりましたかね。
最後に僕のレコーディングを手伝ってくれたのが
昨日の事の様に思うのは気のせいでしょうか。

初めてまっちゃんとの出会いは豪太君と一緒に確かジョーグループでのギグだったと思います。
その時の印象はとてもシャイな表情のまっちゃんが音は逆に太くて重くブレないグルーブを感じた事を懐かしく今思い出しています。
それ以来、様々なジャンルの人の仕事によく付き合ってくれましたね。
例えば競馬のスター騎手から日本映画の大女優まで、実に幅広く共に一緒に演りましたね。
そして何処の場所でも相変わらずのマイペースのまっちゃんでした。

西麻布のbarAMRTAでは深夜遅くまでよくジャムをしてよく飲み笑いましね。
今ではそのAMRTAもありませんが、時々近くを通る度に何故かまたワクワク気持ちがたかぶります。
これからもまっちゃんの想いを音に託して仲間とロックして行きますからね。
又何処かでジャム出来ることを楽しみにしていますよ。
その時は是非 "しのやん”に参加させて下さい。
ではでは。 (2014年 8月  love & peace  篠原信彦)


 

 

松永くん

CDありがとう。
眩しくてワクワクしました。
みんなが笑顔になる様子が、目に浮かびます。

人にも音楽にも誠実であり続けたからの産物です。
こうしてやろうとかの作為的な部分はなくて(なかなか出来ない事です)
あなたが嬉々として音楽する姿が聴く人に伝播してみんなを幸せにしてくれました。
物静かな不動の外見とは裏腹な活力溢れる音楽を堪能しました。

ありがとう。

 

7月の青空、松永くんの音忘れません。 (MANDA-LA2 中野直志

 

 

 信じたくないが松ちゃんは女にもてたらしい。でも男にも相当もてる男だった。僕も松ちゃんに受けたい一心で普段からバカを言い、ステージで彼をいじっては彼の歓心を買うように努めた。あるとき松ちゃんは観念して言った。よくもまぁ、そんだけ中身のない話をいつまでもダラダラとくっちゃべっていられるもんだな~。松ちゃんに認められた記念すべき瞬間だった。
 でもつきあいが長くなって分かった。彼は誰かを認めたり認めなかったりする人ではないのだ。同様にプレイする音楽によって態度を変えたりもしない。
 彼のすることはいつも同じだった。まっすぐに指を振り下ろして強く弦を震わせる。それは非情なほどだ。感情をこめるのではない。存在をこめるのだ。その狂いのない一瞬、その混じりけのない一音の振動が、世の移ろいの向こうまで、記憶の底まで震わせる。動かないベーシスト松ちゃんは、ほんとうに独特なやり方で時空を超えるのだ。
 6月に思いがけなくも天国から届けられたCDを聴いて、あらためてそう思った。 (楠 均

 

 

 

  松永さん、プレイがシブいから忘れがちなんだけど話してると笑顔が多かった。

松永さんの穏やかな明るさと強力なリズムに貫かれたレゲエ・インストゥルメンタル。  (Twitterより) いとうせいこう

 

 

 

 本当に久しぶりのラグーンでした。(松永孝義三回忌ライブ出演)
勿論玄ちゃんとのユニットです。でも今回は3人でした。特別に松ちゃんが参加してくれました。
やっぱ松ちゃんのベースとべしゃりはいい。また是非参加してね。
これからも松永く宜しくお願いします♪♪  (アロハ フロム アラニ  山内雄喜)

 

 

 

 

 「松永さんの「QUARTER NOTE」を聴いていると、知らず知らずに力が湧いてくる。
 日々の暮らしが輝くようです。
 みんな、松永さんのこと、ずっと大好きです。
 こんなに素晴らしい音楽を残して下さってほんとうにありがとうございました。」 (畠山美由紀)

 


 一曲目の1発目のベースの音を聞いて
カルメンマキさんのサラマンドラで松永さんが弾く1音の連打の
8ビートのグルーブに毎回ぶっ飛ばされた事を思い出しました。
松永さんの魂、受け継ぎたいです。 (鬼怒無月)

 

 


 彼の偉業は、言うまでもない。見る人聞く人の心を即座に掴む、素晴らしいミュージシャンだった。彼の音に自分の音を重ねた時間は、私にとって至福の時だった。私は今でも、もう彼の音が生で聞けなくなったことに絶望的な気持ちになることがある。心の底から、どうしようもなく寂しくなる。
そして、まだまだ弾く気満々だった彼の気持ちを想像すると、やり場のない怒りにも似た気持ちでいっぱいになるのだ。

音楽家 松永孝義は、男性としても相当魅力的だった。口数は決して多くなく、しゃべり方も絞り出すような独特な発音?だったが、これが不思議なパワーを持っていて、ある時は抱腹絶倒の面白さになり、 ある時は心に染み入る暖かい言葉になった。私は幾度も彼のさりげない優しさに、励まされたり救われたりした。 そのどれもが狙ったものではなく、いつも自然に彼らしかった。だからすごくたくさんの言葉を交わさなくても、彼の内面は何となくよく分かるような気がしていた。彼にはとても素敵な奥様がいたが、私は内心、やばいこの人モテるだろうな…と思っていた。本当にシャイな人だったが、照れ隠しの悪態も、とてもチャーミングだった。

 彼が亡くなって初めて、私はご自宅に伺った。そこは松永夫妻を慕う方々で、いつも賑やかだったそうだ。彼の存在を未だびしびし感じる松永家には、彼がずっと使ってきたという味わい深い立派な食器棚や、素敵な庭があった。奥様によると、彼は花や野菜を育てること、愛でることが好きだったそうなのだ。これには本当に驚いた。そんな話しは一度 も聞いたことがなかったし、彼があんなに素敵な食器棚を大事に使っていたことだって、普段の彼からは想像も出来ないことだった。彼の内面を理解してなどいなかったことを思い知らされた気がした。

もっとたくさんのことを共有したかった。取り返すことの出来ない時間というのは、本当にあるのだとしみじみ思う。一緒に活動していた当時の、自分の判断への迷いも後悔も未だに山ほどある。これはいつか時間が解決してくれる痛みだろうか。
この思いは届いているか、松永さん。とても会いたい。とても寂しい。 (ヴァイオリニスト 近藤久美子)

 


 

 

 よくまあ、こんな良い音で残ってたもんです。何が起こってもベースはきっちり真ん中にいて揺るがない。さすが、松永さん!文字通り 「メインマン」ですね!   船戸博史(ふちがみとふなと)
 

 


 いい音楽は大きくて朗らかだ。手をのばせばいつでも誰でも、それに触れられるかたちにしてくれたPRECIOUS PRECIOUS RECORDS、松永さん希ちゃん、

ありがとう。 渕上純子(ふちがみとふなと)
 

 



 このアルバムを初めて聴いたのは不覚にも行きつけの飲み屋のカウンターだった。控えめな音量で流れているのに楽しくも胸に沁みる音楽、 店主に聞いたら松永さんのライブアルバムとのこと。しまった、もう出ていたのか、とあわてて入手した。

 楽器は違えどベースパートを生業にする者として、生前に松永さんと一緒にやらせてもらったり演奏を聴く機会があると、いつも松永さんのベースラインに耳を澄ませていた。どうやったらこんなに気持ちの良いノリを出せるのだろうと。好きなベーシストはたくさんいるが、一番尊敬するベーシストは松永さんだった。

でもこのアルバムを聴くと「そんなことより音楽を楽しもうぜ」と言われているような気がする。参加ミュージシャンはみんな本当に楽しそうに演奏している。いいなあ。大原さんの曲が3曲も入っている。録音は藤井さんだ。底抜けに楽しくて、ちょっとほろりとする。とても いいアルバムです。 (関島岳郎

 


 

 初めて松永孝義と会ったのは西荻窪の練習スタジオ。一度セッションしてとお願いしたら、大きなウッドベースを抱えて来てくれて、それでふたりで向かい合って何曲か演奏して、「うわー、なんだこのベースは!」とびっくりした。その頃のQUJILAは僕ひとりが残った状態で、もう閉店ぎりぎりな感じだった。
 恐る恐る「あのー、今こんな状態なんですが、QUJILA手伝ってくれますか?」と聞いたら、「もっと早くおっしゃって下されば」って言ってくれた。あの声で。その瞬間、閉じかけていた色々なシャッターがガラガラガラと全開になった。
 『QUARTER NOTE』を聞いていると、シャッターなんて自分で開けたり閉めたりできるもんじゃねえやという気持ちになる。俺たちの音楽ってもっとでっかいものなんだよなあ、って思う。  杉林恭雄(QUJILA)

 

 



松永孝義、名前も顔も声も音楽もカッコイイ男。
小中高の心を忘れず、バカだな~という面も満載で、
深く優しく、人と一緒にいるのが好きな人だった。
世界一の嫁・希と小さくて大きい二人の家で暮らし、
ベースを背負って皆のいる音楽の場所に行き弾き話し、
メチャクチャ楽しく生きたんだと思う。

このアルバムで松ちゃんはとっても楽しそうにベースを弾いていて、
メンバーの人達の演奏も弾んでいて、カッコいいなあとくり返し思う。
5曲目と6曲目、Pua LililehuaとMalaikaでの希の歌声で風が吹き、
心が晴れていく。この2曲を聴けることもとても嬉しい。

松永希が出したこの「俺づくし」のアルバムを、
松ちゃんはものすごーーーく喜んでると思います。  (bikke / Lovejoy


 

 

  林亭のアルバム「風は歌う」で弾いてもらいました。その後、半年ほどして武蔵野市民文化会館で開催された高田渡さんの生誕会のステージで、一緒に演奏してもらいました。

楽器から立ち現れてくる音楽って、つまるところ人柄というか、彼の人生そのものだって思うようになって来たのですが、松永さんのベースの音は、控えめに優しく林亭の歌に沿ってくれるものでした。
 ステージに立つ前に交わした会話は一言。今も胸の奥にそっとしまってあります。  
林亭  大江田信(ハイファイレコード)

 

 

 

柔らかく潔し。
よくぞ音源が残ってくれた事に感謝する。
滑らかで力強い音を奏でる照れ屋さんの顔が浮かぶ。
優しい顔でそこに居る松永氏の音に、お酒と煙草を嗜んで身を委ねる。
おんなじだ。嬉しいな。    夕凪 伊藤せい子(ムジカジャポニカ)

 

 

 

 

  私にとって松永さんはとても恐れ多い存在でしたが、ふとした時に松永さんの方から「そんなに気を使わないでよぉ」などと声をかけて頂いたり、

時折発せられる名言にハッとさせられたり、松永さんの優しさや人としての大きさに触れられたことが大事な体験でした。

一緒に演奏させて頂いて、あの圧倒的な存在感のベースの音はいつも特別で、とても身近に感じていました。

その生き生きとした松永さんのベースの音が、このアルバムにたくさん詰まっています。  (中村まり)
 

 

 

 タワー渋谷でCDをゲットした。家に帰ってさっそく聴いた。
にぎやかで明るい曲、でもどこか哀感もあって、そんな良い曲が続く。
達者なメンバー揃いのバンドの演奏は、達者なばかりではない、良い感じのボロさもあって最高~だ!!
まだ聴いたばかりなのに、「愛聴盤」っていう言葉が頭の中に浮かんだ。
希ちゃん、エマーソンさんを始めとする制作スタッフの皆さま、こんな素敵なプレゼントを届けて下さってありがとうございます!

しかし松永さんのベースを聴いてると、松永さんの話し口調を思い出すなぁ。
あのままな感じがする。  ロケット・マツ(パスカルズ)


 

 


 家で冷やし中華食べながらアルバム聞いた。不覚にも冷や中食べながら泣いてしまったではないか。
なんだっ、このアルバムには愛が詰まっているではないか。愛してるなんで生まれてこのかた言った事はないが。愛だな愛。

私は松永さんが好きだったのです。みなさんも好きでしょうが、私は ライブでひっそり松永さんをこっそり見つめる女子高生の恋並みに好きだったのです。

女子高生が何も言えずにいるうちに、松永さんは結婚してしまった。初めて会って飲んだ嫁は、え~、これでいいんだったら私でもよかったじゃ~んと思うような酒飲みオヤジ女だった。
その嫁が音楽は愛だぜ!今はいない松永さんをカタチにして、この世知辛い世に出してくれた。

冷や中食べ終わって、かないませんかないません、松永さん、この幸せもの!と、いい音楽を聞きながら、笑い泣きしていた。
  白崎映美(上々颱風)
 

 

 

 

 音源いいなあ、磔磔でかけてます。ライブCD、磔磔ではないのですが松永さんひょっと出て来そうです。
O.V. Wrightより、「プレシャスプレシャスレコーズ」、タイトル 『QUARTER NOTE』素敵です。
いいアルバムですね。  水島博範(磔磔)


 


 渋谷クアトロのオープニング企画「ローランド・アルフォンソwith  MUTE BEAT」にはじまり、トマトス、LONESOME STRINGS、そして数々のアーティストのバッキングと、クアトロの歴史の通底音には 常に松永さんのベースがあった。その松永さんが初めてメインに回ったバンドの東名阪クアトロツアーに携われたこと、それが今回音盤化されたことをとても光栄に思っています。   柿原晋(クラブクアトロ)

 


 みんなが、松永んちの庭に集まって、思い思いのびのびと存分に楽しんでいる。そんな光景が浮かぶアルバムだなぁ。そんなみんなの扇の要は、テラスでビールを飲んで笑っている松永。「お前も、飲めよう。」と勧められるままに、僕も焼酎いただいてます。
 このCDにも納められている、名古屋クアトロ公演が終わった後、「ありがとうなぁ。」と握手した松永の充実した笑顔を忘れない。  森田裕(TOKUZO)

 

 

 

 松永孝義さんとはカルメンマキ&サラマンドラで何年か一緒に活動していました。
松永さんはとても優しくて寡黙で、誰にも無い揺るぎない存在感で時に厳しく、お酒も好きで一緒のツアーも本当に楽しかった。
とにかく音がぶっとくて「この音を出すんだよ!」という気持ちの力強さがそのまま表れていて、まるで拳でぶん殴られるような聞いた事の無い太さだった。

僕は80年代の東京ソイソースの初回から行っていて、松永孝義というベーシストの大ファンでした。
サラマンドラで僕の作曲した「変わらないもの」というレゲエビートの曲で松永さんにベースを弾いてもらったのは本当に光栄で嬉しかったな。
ある時「松永さんは世界3大レゲエベーシストの一人。あとの二人はウェイラーズのアストン・バレットとスラロビのロビー・シェイクスピアでしょう!」と言ったら、松永さんは若干不機嫌そうに 「ああ、そう。」と言った。
今になって思えば松永さんはワン&オンリーのベーシストだったし、そういう事を言われるのが嫌いな人だった。

でも、ツアー中に飲みに行ったお店でサザンソウルがかかっていて「俺もサザンソウル大好きだよ!」って言ったらめちゃくちゃ盛り上がったです!
あと、ホットツナのジャック・キャサディの話になったら急に盛り上がったなー。そういう楽しい思い出も沢山有ります。

松永さん、世界で一番大好きなベーシストでした。
   (勝井祐二)

 

 

 松永さんの音がいかに素晴らしいかは、今回いくつかのレビューや対談でお話ししました。
私が話したことは、本当は生の音で感じてほしいのだけれど、でもそれができない今、
このライブ盤から滲み出る、松永さんの音楽に向けた思い、意志を、皆さんに感じてほしいと思います。
リスナーのみならず音楽家、特に、松永さんの事を知らないであろう 若い演奏家達には、ぜひ聴いてほしいのです。
Main Manの意味を知るために。
  芳垣安洋
 

 

 

 

 バウムクーヘン

 

  その昔、中島ノブユキさんのレコーディングに呼んで頂いて、僕と松永さんと栗原さんのドラムで、レコーディングセッションをした事が あります。

何回かリハを重ね、松永さんの音を聴き続けるうちに、ふとバウムクーヘンを思いました。渋くてかっしりした部分と太くてずっしりした部分が交互に聴こえて、
そ れが、バウムクーヘンの琥珀の蜜の部分と肌色の豊かな生地の部分に思えたからでした。さて、演奏を終えミキシングルームへ。本当は集中して、レコーディン グされた音を聴かなければならないのですが、我々三人のプレイヤーは何とも長閑に薄ぼんやりと聴いていたように記憶しています。
多分、壁際で松永さんはいつものように恥ずかしそうに笑っていたけど、バウムクーヘンのような幸福な音は、モニタースピーカーを揺らし続けておりました。  ゴンザレス三上(ゴンチチ)

 

 

 

 

10年くらい前、松永さんのソロアルバム発売記念ライブを見に行った。もちろん演奏は素晴らしかったのだが、あの寡黙な松永さんがMCをしているのに

一番驚いた。ライブが終わって、「MC良かったですよと」言ったら、「もう今日はしょうがないです」と答えた、あの泣きそうな笑顔が忘れられない。     

  チチ松村(ゴンチチ)
 

 

 

 

 松永孝義『QUARTER NOTE』を聴いて

 

 オレがず~っと考えていたベーシストのソロ・アルバムを作ると言ったら、今でこそ当然のような顔をしている奴も「?」な顔をした。
最初に声をかけたのが2002年で「そろそろソロでもやる?」と言った時は「え~?」と断って来た。それから2年後、久しぶりに事務所
に来てもらって、思いの丈をじっくり話した結果が、皆さんご存知の通り『The Main Man』となった。

 メンバーや、録る曲も決まりレコーディングの前にリハというか、探りみたいな音合わせを聴いた時、オレは冷静ではいられなくなり
部屋の外に出た。だが休憩になってみんなも外に出て来たから、オレが感極まったのは見られてしまったな。

今までに何度かそういうことがある。MUTE BEAT再結成のリハ。こだま和文とDJ KRUSHのリハ。GladdyとNambo, Dean Fraser, Clevie達のレコーディング。
ここまで生きて来た時間の中でたったの4回とは情けないものだが、いちいち野郎が曲を聴いて泣いていたんじゃ生きていけない。
実はこういうことが起きる時は、オレは当事者という立場を若干離れることができて、お客のようなポジションでいる時かも知れない。つまり彼らに全幅の信頼
を寄せ、オレが何かをごそごそやらなくても良い時だ。松永のレコーディングもメンバーが決定した時点で、ある意味完成したような気がしていたのかもしれない。

 今度のライブ盤『QUARTER NOTE』に残された何曲かは、オレが主催した原宿アストロホールでの初ライブ、つまりリリース・ライブの音も入っている。
このアルバムが最高だとか宝物だとかいうのは、聴いた人が判断するものだから、そんなヤボなことなんてオレには書けない。だがこの『QUARTER NOTE』
ができたきっかけだけは書ける。

 1986年だった。まだオレの事務所が骨董通りからちょっと入った所にあった頃だ。ジャマイカから帰って、Gladdyがくれた汚れてジャリジャリになった
アルバムを水道水で洗って聴いていたら松永が一人でやってきた。
 それはLynn Taittの『Rock Steady: Greatest Hits』というアルバムで、LynnはRocksteadyのギタリストとして有名だが、そのプレイは一歩間違ったら
エレベーター・ミュージックなどと言われかねない。その当時、Lynn Taittの価値を語る人などは周囲にはいなかったから、一人でシビレていた。
MUTE BEATのメンバーは、全員が油断のならないセンスをしていた。何しろ、ビル・ラズウェルがプロデュースを申し込んで来た時にも「イケてない」
と断ったことがあるほどだから、オレがこんなアルバムを聴いていてバカにされてはまずいので、松永に恐る恐る「コレどうよ?」とたずねると
「サ、サイコウです~!」と拳を握りしめて言うではないか! その一言でオイラのセンスもマンザラではないと若干自信を持ち、そして松永を好きになった。
 
この時だ! いつかチャンスがあったら、コイツのアルバムを作りたいと思った。好きなやつのアルバムを作るのが、理想だからね。
こうして『The Main Man』ができた。考えてから18年もかかったけどね。それがきっかけで、またこうしてライブ盤になった。本当の音をありがとう! 

 (石井志津男/OVERHEAT/Jun.8 2014)
 

 

(原マスミ)

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